大人げなく生きている(表)

漫画と映画が仕事です。

雑誌に載る漫画と載らない漫画の違いを『奥山ケニチ短編集 めくれる思春期』から少し考えてみる。

みなさん、こんにちは。豚ばらです。

今日は『ワンナイト・モーニング』のドラマ化も決定した、奥山ケニチさんの『奥山ケニチ短編集 めくれる思春期』を読みました。

奥山ケニチ短編集 めくれる思春期 (ヤングキングコミックス)

磯部くんが死んだ。エスカレーターで女性の下着をのぞきこみ、警備員に見つかり逃げた拍子に転げ落ちたらしい。階段下から見える一瞬のパンチラのロマンを共有する男子高校生2人の青春ストーリー「磯部くんのパンツ」(モーニング新人賞受賞)他奥山ケニチ珠玉の短編読み切り集!

 感想:★★★☆☆

何よりもまず、表紙のデザインがステキですね。
作品タイトルを読もうとすると否応なしにその下に描かれた女の子の脚を眺めることになり、同じくその脚に釘づけになっている男子学生キャラクターふたりの気持ちを追体験できる構成になっています。
ふつうなら他の要素が被らないようにしそうな箇所にあえてタイトルロゴを置くことで、逆にこの表紙絵の見どころたる女の子の脚が強調されるようになっているのは「アイデアだなぁ…」と感じました。

そんなこんなで漫画に目を移すと、どのエピソードも読者である私たちとの距離が比較的近しい印象で、基本的には、誰もが経験したことあるような日常からちょっとだけ抜け出した際に見える風景の変化についてのことが、テーマとして描かれてあります。

一方で気になったのが、この単行本が初出となるふたつの物語。
作家さんがただ趣味で描いたとは思えませんから、おそらく他の作品と同じく、雑誌に載せる目的で描かれたものだったのではないでしょうか。
具体的な内容はぜひ読んで確かめてもらいたいものの、個人的にこれら2本とその他の作品の大きな違いだと感じられたのは、エピソードの主人公たちが上述の「日常からの抜け出し」を行えたか否か、という点です。
正直、これら単行本初出しとなる作品の主人公たちは「日常からの抜け出し」が行えておらず、他の作品に比べ読後のカタルシスを感じづらい、ちょっと暗い印象を与えるものとなっています。
そのことから、未来への希望のようなプラスの側面が見えづらいこれらの作品は「大多数の読者が漫画に求めるものが描かれていない」と判断され、雑誌には載せられないと判断されたのかな…?なんて邪推をしてしまいました。

もちろんその真相は僕のような一読者にわかる由もないのですが、そんな拙い思考をめぐらす快楽を得られただけでも、この短編集を買った意味があるというものでした。

よろしければ読んだみなさんのご意見も聞かせてもらえると、豚ばらが喜びます。

それではまた次回~。